マドリードでのチャンピオンズリーグ決勝
マドリード市は、ヨーロピアン・カップ13回優勝の王者レアル・マドリード、アトレティコ・デ・マドリード、ラジョ・バジェカーノの本拠地であり、常にサッカーと結びつきを保ってきました。しかも、この街では、82年のワールドカップと64年の欧州選手権の決勝に加え、チャンピオンズリーグの決勝がすでに4回も開催されています。来年マドリードでは2018/19チャンピオンズリーグの決勝戦が予定されています。アトレティコ・デ・マドリードの新スタジアムであるメトロポリターノ・スタジアムで、6月1日に開催されます。
ヨーロピアン・カップ/チャンピオンズリーグ
1956/57 UCL決勝:レアル・マドリード CF - AC フィオレンティーナ(2-0)
当時の名称「チャンピオン・クラブズ・カップ」、通称ヨーロピアン・カップの第2回大会。後にサッカーの歴史を変えることになるこのトーナメントをUEFAが開催した2度目の大会です。第1回の1955/56シーズンは、レアル・マドリードがパリでの決勝戦にて4-3でスタッド・ランスに勝利。歴代最多優勝クラブであるレアル・マドリードが、最初にタイトルを獲得した大会となりました。
この年は予選に22チームが参加。予選通過チームが、直接トーナメントへの出場権を獲得済みのチームに加わり、最終的に16チームが残りました。ヨーロピアン・カップは、これら全チームの間で、1回戦からレアル・マドリード対フィオレンティーナの決勝まで試合が行われました。マドリードが決勝戦の舞台となったのはこれが初めてで、1957年5月30日にサンティアゴ・ベルナベウ・スタジアム(Estadio Santiago Bernabéu)で開催されました。
ホセ・ビジャロンガ(José Villalonga)監督率いる「メレンゲ」(レアル・マドリードの愛称)が、パコ・ヘント(Paco Gento)とアルフレド・ディ・ステファノ(Alfredo Di Stefano)のゴールで、ベルナルディーニ(Bernardini)監督やジュリーニョ(Julinho)のフィオレンティーナに2対0で勝利。ディ・ステファノは7ゴールでトーナメントの得点王となりました。愛称「ブロンドの矢(La saeta rubia)」のディ・ステファノは、レアル・マドリードでの伝説を築き始めたところでした。彼は同チームでリーグ優勝8回とチャンピオンズカップ初回から5回の5連覇を達成し、レアル・マドリードのために418ゴールを決めました。
1968/69 UCL決勝:ACミラン - アヤックス(4-1)
チャンピオンズカップはその地位を確立し、すでに14回目を迎えていました。32チームが参加し、1回戦から決勝までホーム&アウェー方式で全トーナメントが行われました。決勝戦の舞台は再びサンティアゴ・ベルナベウでしたが、レアル・マドリードは2回戦でラピード・ウィーンに敗れ、進出できませんでした。
決勝は1969年5月26日に、ジャンニ・リベラ(Gianni Rivera)を擁するACミランと若きヨハン・クライフ(Johan Cruyff)のアヤックスの間で争われました。ACミランは1963年の優勝後2度目のヨーロピアン・カップ制覇を狙い、アヤックスは優勝チームとなることを目指していました(アヤックスはこの2大会後に目標を達成します)。
結果は4対1でACミランが明らかな勝利を収め、イタリア人フォワードのピエリーノ・プラティ(Pierino Prati)がハットトリックを決めて特に注目を集めました。
1979/80 UCL決勝:ノッティンガム・フォレスト – ハンブルガー (1-0)
25回目のUEFAチャンピオンズカップ決勝はサンティアゴ・ベルナベウで行われ(3回目)、1980年5月28日に、伝説的なブライアン・クラフ(Brian Clough)率いるノッティンガム・フォレストとキーガン(Keegan)とマガト(Magath)のハンブルガー(準決勝でレアル・マドリードに勝利)が対戦しました。
イギリス人選手のみがプレイし、1979年にすでにヨーロピアン・カップを制覇していたノッティンガム・フォレストが、ジョン・ロバートソン(John Robertson)のゴールにより1-0で勝利。ピーター・シルトン(Peter Shilton)が活躍した同チームは、わずか4年の間に2部リーグからUEFAチャンピオンズカップ2連覇達成という、並外れた経歴の頂点に達しました。
2009/10 UCL決勝:インテル – バイエルン・ミュンヘン(2-0)
2009/10シーズンの決勝は、1992/93シーズンに大会名と方式が変更されて以来、「チャンピオンズリーグ」という名称でマドリードを舞台に行われた最初の試合となりました。
サンティアゴ・ベルナベウで71,569人の観客がインテル・ミラノ対バイエルン・ミュンヘンの決勝戦を楽しみました。ディエゴ・ミリート(Diego Milito)の素晴らしい2ゴールにより、イタリアチームが2-0で優勝。エトオ(Eto’o)、スナイデル(Sneijder)、サネッティ(Zanetti)、カンビアッソ(Cambiasso)、マイコン(Maicon)などを擁したモウリーニョ(Mourinho)率いるインテルに「ビッグイヤー」(優勝カップ)をもたらしました。対戦相手のドイツチームでは、ファン・ハール(Van Gaal)監督の指揮下、ロッベン(Robben)、ミュラー(Muller)、ラーム(Lahm)、シュヴァインシュタイガー(Schweinsteiger)などがプレイしました。
2018-2019 UCL決勝:リヴァプールFC - トッテナム・ホットスパーFC (2-0)
イングランドの歴史的な2チームの対決となったこのシーズンの決勝で、アトレティコ・デ・マドリードの新スタジアムであるメトロポリターノが63,272人の観客を迎えました。ドイツ人監督ユルゲン・クロップ(Jürgen Klopp)の指揮下、サラー(Salah)、ファン・ダイク(Van Dijk)、アリソン(Alisson)、フィルミーノ(Firmino)、マネ(Mané)を擁するリヴァプールが、ポチェッティーノ(Pochettino)監督、ケイン(Kane)、エリクセン(Eriksen)、ソンのトッテナムに2-0〔サラー(ペナルティ)とオリジのゴール)で勝利し、チャンピオンズリーグ6度目の優勝を達成しました。
リベルタドーレス杯
2018/2018 リベルタドーレス杯決勝:リーベル・プレート - ボカ・ジュニアーズ (3-1)
2018年12月9日、サンティアゴ・ベルナベウ・スタジアムを舞台に、リベルタドーレス杯の歴史的な決勝戦が行われました。決勝がアメリカ大陸以外で開催されたのはこれが初めてで、ブエノスアイレスの2チーム、クルブ・アトレティコ・リーベル・プレートとクルブ・アトレティコ・ボカ・ジュニアーズの対戦というアルゼンチンのスーパークラシコとなりました。
スタジアム「ラ・ボンボネーラ」でのファーストレグが2-2の結果で終わった後、スタジアム「エル・モヌメンタル」で開催予定だった試合の中止を経て、決勝戦のセカンドレグは最終的にレアル・マドリードのホームグラウンドで開催されました。
120分に及び延長戦の最後まで勝敗が決まらなかった試合は、マティアス・ビスカイ(Matías Biscay)の指揮下、リーベル・プレートが3対1でボカ・ジュニアーズを下しました。ルーカス・プラット(Lucas Pratto)(68分)、フアン・フェルナンド・キンテロ(Juan Fernando Quintero)(109分)、ゴンサロ・マルティネス(Gonzalo Martínez)(120分)が勝者チームでゴールを決め、ギジェルモ・バロス・スケロット(Guillermo Barros Schelotto)率いるチームの唯一のゴールはダリオ・ベネデット(Darío Benedetto)(44分)によるものでした。
選抜チーム
1964年欧州選手権:決勝:スペイン – ソビエト連邦(2-1)
1964年の欧州選手権は当時「欧州ネイションズカップ」と呼ばれていた同トーナメントの第2回大会。1960年にフランスで第1回大会が実施された後、スペインでの開催となりました。同トーナメントは現在の方式とは非常に異なり、準決勝2試合、3位決定戦、決勝の、合わせて4試合のみが行われました。この短いネイションズカップへの参加権を争って一連の予選ラウンドが開催され、1962年からシーズン中に争われてきたベスト16による8試合と準々決勝も含まれていました。
決勝は、ホセ・ビジャロンガ(José Villalonga)監督の下、イリバル(Iribar)、ソコ(Zoco)、アマンシオ(Amancio)、ペレダ(Pereda)、マルセリーノ(Marcelino)、ルイス・スアレス(Luis Suárez)など素晴らしいイレブンが揃ったスペインが、1960年の第1回大会の優勝国であり、前年にバロンドールを受賞していた伝説的なレフ・ヤシン(Lev Yashin)がゴールキーパーを務めるソビエト連邦と対戦。開催地のスペインチームが2-1で勝利し、ゴールはペレダ(Pereda)(6分)、フサイノフ(Khusianov)(8分)、マルセリーノ(84分)が決めました。
1982年ワールドカップ:イタリア– 西ドイツ(3-1)
1982年のワールドカップ・スペイン大会は、サッカー世界選手権の第12回大会。参加国数が24チームに増えた他、初めて出場国が全大陸に及んだため、様々な面で非常に特別な大会となりました。参加チーム数の増加に伴い、2次リーグ制と決勝段階の方式を採用して開催されましたが、この方式が用いられたのはこの大会のみとなりました。
サンティアゴ・ベルナベウで行われた7月11日の決勝では、当時の最強2チームのイタリアとドイツが対戦。両チームとも2度のワールドカップ優勝経験があり、イタリアチームのゾフ(Zoff)、ベルゴミ(Bergomi)、ジェンティーレ(Gentile)、コンティ(Conti)、ロッシ(Rossi)と、ドイツチームのシューマッハー(Schumacher)、ブライトナー(Breitner)、ルンメニゲ(Rummenigge)、リトバルスキー(Littbarski)、ブリーゲル(Briegel)といった選手が揃った素晴らしいチームでした。
イタリアチームが3-1で優勝し、ゴールを決めたのは、ロッシ(Rossi)(57分)(得点王、MVP、同年のバロンドール)、タルデッリ(Tardelli)(69分)、アルトベッリ(Altobelli)(81分)、ブライトナー(Breitner)(83分)。
ディノ・ゾフ(Dino Zoff)はワールドカップで勝利を収めた史上最年長選手として40歳で優勝を達成。この決勝は、イタリアの老練なサンドロ・ペルティーニ(Sandro Pertini)会長がロイヤルボックスで歓喜に酔いしれる姿とともに、常に思い出されることでしょう。
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- 1964年欧州選手権:決勝:スペイン–ソビエト連邦(2-1)Jesús María 'Chus' Pereda © Getty Images
- 1982年ワールドカップ:イタリア– 西ドイツ(3-1)
- 1979/80 UCL決勝:ノッティンガム・フォレスト – ハンブルガー (1-0)© Getty Images
- 1968/69ヨーロピアン・カップ決勝の勝利を祝うACミラン © Getty Images